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zoom RSS 消えたローカル線・・・標津線(第二次特定地方交通線として廃止)

<<   作成日時 : 2018/07/25 06:55   >>

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赤字83線でも廃止対象になりながらも生き延びて結果的には、第二次地方交通線として廃止になった、標津線 (標茶〜根室標津、中標津〜厚床 116.9km) 1989年4月30日 廃止 第二次特定地方交通線について、少し語らせていただこうと思います。

路線図

標津線の歴史(管理所設置まで)

標津線は、根釧原野の林産資源並びに鉱産資源の開発を目的として建設された鉄道であり、昭和8(1933)年 厚床〜西別間の開通に始まり、昭和12(1937)年には、根室標津まで延長され、根釧原野の開発と北方漁業の振興に寄与してきたとされています。
戦時中は北方警備の重要地点として、日本海軍標津第一航空基地(中標津飛行場)・標津第二航空基地(川北飛行場)、日本陸軍計根別飛行場が建設されるなど、繁忙を極(きわ)めたそうですが、終戦と同時に輸送量は激減し混合列車4往復の運転となったそうです。
このため営業係数も262の非採算線区となり、昭和31(1956)年気動車を導入して客貨の分離輸送を行うなど経営の改善に努めましたが、昭和33(1958)年10月1日更に合理化推進するためか、管理所制度が発足しました。

標津線(画像wikipedia)


営業係数改善と準急列車の設定
管理所設置後は、駅務の合理化、本線への直通、仮乗降場の増設等の改善を図り。
積極的な施策で行うことで、営業係数も昭和33年度は、営業係数215であったが、33年度303、34年度195、35年度181、36年度は推定152と、その収支は著しく改善されています。
また、昭和37年度から非採算線区には珍しい気動車準急(根室標津〜釧路間直通)を設定し、知床半島などへの観光客の誘致と増収を図っています。

昭和36年当時の時刻表

昭和36年当時の時刻表


昭和40年10月当時の時刻表
昭和40年10月当時の時刻表


赤字83線に指定されるが
しかし、元々の線路規格が簡易線規格で設計されていることもあり、また昭和30年代には道路の整備が進んだこともあり、標津線は、赤字83線の一つとして、昭和43年には廃止対象の路線として指定されることになります。
しかし、この頃には廃止運動で赤字路線を廃止する中で、赤字ローカル線が建設されるという矛盾(鉄建公団が鉄道敷設法に基づき地方鉄道線などを建設、国鉄に無償貸し付け)が生じました。
路線自体は無償譲渡という形を取っていましたが、その維持運営には経費が必要であり、当然のことながら赤字額を減らすどころか増やす結果となりました。
こうした経緯もあり、赤字83線の廃止はうやむやとなってしまいました。
注:赤字83線とは、国鉄諮問委員会が、国鉄赤字の改善の一つとして、輸送量が極端に少なく、鉄道で輸送するよりもバス等で輸送する方が効率が良いと判断された路線に対してバス転換を進めることを勧告したものでした。廃止反対運動や上述の鉄建公団による路線建設という矛盾などから、結果的にうやむやとなりました)

廃止議論が再燃
国鉄再建法が議論され、赤字ローカル線についても特別地方交通線として、4000人未満の路線にあっては、廃止する方向性が打ち出され、標津線もその対象に入ります。
ただし、昭和59年6月22日には、廃止対象保留線区として、池北線、名寄線、天北線、は営業距離が長く、厳冬期における自動車による代替輸送が可能か否かを確認する必要から承認が保留された経緯があります。
この辺は、国鉄部内誌、国有鉄道昭和 59年8月号を参照しますと下記のように書かれています。

標津線廃止承認


少し長いですが、引用させていただきます。
天北線、名寄線、池北線、標津線、岩泉線、名松線の6線を除き、27線について承認が行われた。6線について承認が保留されたということはかつてないことであるが、天北線、名寄線、池北線、標津線、については、100キロを超える長大路線であり、厳冬期を含め代替輸送として全区間にわたり新たなパス運行が可能かどうか、十分な調査ができるまで承認が保留されたものである。また、岩泉線と名松線については、道路状況からみて申請のとおりの代替パスの運行に問題があるということで承認保留となった。これら承認保留線区の今後の取り扱いであるが、北海道の4線は、選定基準に直接かかわる問題ではないことから運輸省で十分な調査が行われたうえで、できるだけ早く承認していただき、所要の手続きを進めていきたいと考えている。


大泉線、名松線は代替道路未整備の理由で承認保留になりましたが、標津線は池北線、名寄線、天北線とともに、昭和60年8月2日には追加承認されることとなり、第二次地方交通線として廃止対象となっていくのでした。

昭和61年月7月15日には、池北線、名寄線、天北線とともに合同で第1回合同対策協議会が発足しており、平成元年4月30日、全線廃止、バス路線に転換(標茶 - 標津:阿寒バス、厚床 - 中標津:根室交通)され、現在に至っています。

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