消えたローカル線 赤字83線で廃止された・・・臼ノ浦線

今回は、 1971年12月26日 に廃止となった、臼ノ浦線のお話をさせていただこうと思います。 臼ノ浦線は、赤字83線の指定を受け、昭和46年年末に廃止されたものでした。 臼ノ浦線は、同時期に廃止された世知原線同様、石炭輸送を主な目的とした鉄道であり、昭和46年10月、廃止直前の改正では遂に1日一往復になっており、実質的に廃止…
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線 第一次特定地方交通線として、私鉄に移管された黒石線

国鉄から私鉄に転換されたローカル線 青森県の川部と黒石を結ぶ、黒石線はちょっとしたレコードを持っています。 それは、日本最初に国鉄から直接民間に転換された鉄道ということでした。 国鉄路線が直接、私鉄に売却された例としては、下北交通に転換された、大畑線の例があるのみです。 ただし、沿線人口の減少や自動車利用者などが多く、1998年…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線・・・妻線 (復活の夢は叶わず、第1次特定地方交通線に指定)

妻線は、昭和59年12月1日、第1次特定地方交通線として廃止された、路線であり。 赤字83線当時にも廃止路線としてリストアップされた路線でした。 元々県営鉄道とした経緯も有り、鉄道に関する思い入れは強く、廃止後も復活の可能性があるとして、全区間線路を残すとしていました。 当時のニュース映像がyoutubeにアップされていま…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

赤字83線で指定され、第一次交通線として廃止された白糠線

白糠線 (白糠~上茶路 25.2km)を走るローカル線で、(昭和58年)10月23日:全線 (33.1 km) が廃止されました。 足寄までの延長が計画され、沿線の森林資源と石炭搬出が主な目的の路線として計画されたそうですが、肝心の石炭輸送が昭和45年には閉山となりました、皮肉にも、茶路駅以北釧路二股駅までの区間は、昭和43年から路…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線 唐津線岸嶽支線

唐津線岸嶽支線 (山本~岸嶽 4.1km) 【廃止】1971年8月20日 唐津線 岸嶽支線の概略 1912年(明治45年)1月17日:山本駅 - 岸嶽駅間貨物支線開業、(貨)牟田部駅、(貨)岸嶽駅新設 1913年(大正2年)9月21日:山本駅 - 岸嶽駅間旅客営業開始、牟田部駅、岸嶽駅を貨物駅から一般駅に変更    …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線 日中は走らない日中線

赤字83線でもリストに上がった日中線 日中線は、改正鉄道敷設法別表第26号 「山形県米沢ヨリ福島県喜多方ニ至ル鉄道」 の一部として開業した路線で、東北地方南部を縦貫する野岩羽線構想の一翼を担う路線として計画され、1938年(昭和13年)8月18日に開通しています。 略年表 年表をwikipediaから引用したいと思います。…
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

消えたローカル線・・・美幸線(幸少なかった美幸線、第1次特定地方交通線に指定)

当初は、早期開通が期待された美幸線 美幸線は、かつて、日本国有鉄道が運営していた地方交通線で、昭和60年にバス転換により廃止された路線ですが、元々は、美深町の宗谷本線美深駅を起点とし、同町内の仁宇布駅を経て、オホーツク海沿岸枝幸町の興浜北線北見枝幸駅まで至る予定の路線でした。 仁宇布から枝幸方にかけても工事が行われ、路盤もほぼ完…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線  日本一の赤字ローカル線 柚木線

赤字が理由で廃止になった柚木線 松浦鉄道(国鉄当時は松浦線)の左石(ひだりいし)駅から柚木(ゆのき)駅、3.6kmを結ぶ路線でしたが、昭和42年7月9日の集中豪雨で、不通となりそのまま復旧されることなく、9月1日には廃止となりました。 柚木線の歴史を簡単に振り返る 柚木線の経歴を簡単に記してみたいと思います。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

赤字83線でリストアップされた・・・参宮線

参宮線廃線危機? 現在は、JR東海の路線として、快速列車「みえ」が運転されていますが、伊勢・志摩は、近鉄の影響力が強く、国鉄時代はむしろ、お荷物的な路線として扱われていました。 私の父親が国鉄の天鉄局に勤務しており、自宅で、参宮線についてその、処分(天鉄局→名鉄局に移換)されるに際して、その方向性が示されていたのを見たことがあり…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線  第二次特定地方交通線で廃止された・・・宮之城線

赤字83線で廃止候補に挙がった、宮之城線 宮之城線について、少し調べて見ようと思ったのですが、あまり資料が無いのですが。 一先ず、宮之城線の歴史について振り返ってみたいと思います。 歴史 国有化以前は、大正2年に「川宮鉄道株式会社」という鉄道会社が設立され、4年後には工事が開始されるのですが、大正10年には会社自体が解散…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線・・・標津線(第二次特定地方交通線として廃止)

赤字83線でも廃止対象になりながらも生き延びて結果的には、第二次地方交通線として廃止になった、標津線 (標茶~根室標津、中標津~厚床 116.9km) 1989年4月30日 廃止 第二次特定地方交通線について、少し語らせていただこうと思います。 標津線の歴史(管理所設置まで) 標津線は、根釧原野の林産資源並びに鉱産…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線  赤字83線で廃止された・・・川俣線

川俣線は、東北本線、松川駅から岩代川俣駅までを結んでいた路線で、大正13年に開通したものの、昭和47年3月13日をもって廃止となった路線であり、戦争中は不要不急路線として、昭和18年から昭和21年4月まで営業休止となっています。 本編では、当時の資料、時刻表などを元に当時の川俣線の様子を探りたいと思います。 川俣線は、松川駅から分岐…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線  赤字83線で廃止された・・・宇品線

数奇な運命を辿った宇品線 広島駅から広島港までを結ぶ国鉄の路線がありました。 昭和41年に宇品までの旅客営業が廃止されましたが、昭和47年までは、広島から上大河間の定期旅客のために時刻表に掲載されない列車が運転されました。しかし、昭和47年4月1日には、この路線も廃止。 分割民営化を控えた、昭和61年までは、貨物列車のみが運転され…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線  赤字83線で廃止された・・・幸袋線

線区経営改善研究会の研究成果と赤字八三線選定 国鉄の赤字は、昭和39年に計上し、国鉄解体に至るまで黒字になることはありませんでした。 国鉄としては、昭和42年に国鉄部内に、「線区経営改善研究会」を若手の課長補佐クラス一五人で構成し、赤字線の徹底的な研究調査を行い、具体策をまとめることになっていきました。 「線区経営改善研究会」…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線  赤字83線で廃止された・・・三国線

今回は、赤字83線で消えた路線の一つである、三国線を取り上げてみます。 三国港線は、三国港(みくにこう)と北陸本線を結ぶ目的で、1911年に官設鉄道により開業したと記録されており、実際に明治期にはかなり重要な港湾の一つで有ったようで、三国港(旧阪井港)突堤は、文化遺産(重要文化財)として登録されていることからも伺えます。 三国線の歴…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線  赤字83線で廃止された・・・世知原線

国鉄が、昭和43年9月の国鉄諮問委員会が提出した意見書により、「使命を終えた」とされるローカル線を廃止およびバス転換していった中で廃止されたローカル線の一つとして今回は、長崎県の松浦線から分岐して、肥前吉井~世知原(せちばる)を結んでいた世知原線を見ていこうと思います。 世知原線は、元々世知原にあった炭鉱の石炭を搬出することを目的…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

消えたローカル線 知床半島への夢遥か・・・根北線

今回は、赤字83線 選定時に廃止になった鉄道の一つ、根北線を取り上げてみたいと思います。 根北線は昭和45年11月30日で、その使命を終えて12月1日からはバス転換となったローカル線ですが、簡単に根北線の歴史を振り返ってみましょう。 根北線の建設着工は戦前 根北線の建設は、大正時代より斜里の森林開発や入植地の拡大、農産物の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

山陽本線のバイパス区間として計画された篠山線

 丹波地方で産出されるマンガンや硅石輸送と海からの攻撃が懸念された山陽本線のバイパスとして福知山線の篠山駅(現・篠山口駅)と山陰本線の園部駅を結ぶ目的(改正鉄道敷設法別表第78号)で建設された。 とwikipediaに書かれています。 実際に笹山線の場合その建設を急いだため、町の中心部を通らなかったと言われています。 戦争中ではあ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

関門間の足として残った、関門連絡船(遅すぎた廃止航路)

JRの関門トンネルをご存じだろうか? 下関駅と門司駅を結ぶ全長3.4kmほどのトンネルで、昭和17年に現在の下り線が単線で開通、その後昭和19年には現在の上り線も開通しています。 建設までの経緯を見ていますと、トンネルの他に橋梁での建設も計画されたようですが、最終的に国防の上でもトンネルが有利であるとしてトンネルが建設される経緯があ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

柳ケ瀬線の廃止を当時の資料から振り返る

今回も、古い国鉄の部内雑誌などから当時の国鉄ローカル線の在り方についてどのように考えられていたのかを見て行きたいと思います。 今回は、柳ケ瀬線の廃止に至る経緯を見ていきたいと思います。 北陸線の旧線区間として残された柳ケ瀬線 柳ケ瀬線 柳ケ瀬トンネル開通に伴い路線変更となった北陸本線の旧線部分をローカル線として…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more