消えたローカル線 第一次特定地方交通線として廃止された、添田線

添田線とは、赤字83線で選定され、更に昭和54年に特定地方交通線の指定を受け、1985年に廃止されたローカル線ですが、元をたどれば現在の日田英彦山線の旧ルートの一部で有ったそうです。
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概要
小倉鉄道が 東小倉駅 - 上香春駅 (現・香春)~今任駅 - 上添田駅(現・添田)間を開業させたのが、初代添田線で、戦時買収で、昭和18年5月に国有化されています、その後、昭和35年4月に、田川線添田駅~ 彦山駅間、彦山線 夜明駅 ~宝珠山駅間を編入して、添田線の城野~添田間を日田英彦山線とするとともに、香春駅~添田駅間を添田線として分離することとなりました。
ちょうど北陸本線が北陸トンネル開業に伴い、北陸本線の旧線が「柳ヶ瀬線」に分離され、結局昭和60年には第一次地方交通線として廃止されて場合に似ています。

改めて、wikipediaを参考に、年表を作成してみますと下記のようになります。

年表  
 1915年(大正4年)4月1日 小倉鉄道が(東小倉 -)上香春 - 大任 - 上添田間 (24.5M) を開業。上香春・今任・梅田・伊原・上添田の各駅、上伊田停留場を新設。
1922年(大正11年)12月1日 上伊田停留場を駅に改める。
1931年(昭和6年) - 1934年(昭和9年)頃 上添田駅を彦山口駅に改称。
1933年(昭和8年)10月23日 上今任・柿原の各停留場を新設。
1935年(昭和10年)4月1日 一本松停留場を新設。
1936年(昭和11年)12月30日 豆塚停留場を新設。
1942年(昭和17年)
6月10日 一本松・上今任・柿原・豆塚の各停留場を廃止。
8月25日 彦山口駅を添田駅(2代)に改称。
1943年(昭和18年)5月1日 添田線(初代)の一部を含む東小倉 - 添田間 (27.3km) の一部を戦時買収し、国有化。上香春駅を香春駅に、梅田駅を大任駅に改称。
1956年(昭和31年)3月15日 添田線(初代)に田川線の添田 - 彦山間および彦山線を編入し、東小倉 - 大任 - 夜明間 (68.5km) を日田線とする。
1960年(昭和35年)4月1日 日田線の香春 - 大任 - 添田間 (12.1km) を、添田線(2代目)として分離。
1981年(昭和56年)9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認。
1985年(昭和60年)4月1日 全線 (12.1km) を廃止し、西鉄バスのバス路線に転換(→添田交通→西鉄バス筑豊)。

添田線、wikino年表には出ていませんが、赤字83線のリストには上がっており、田川市の中心部を走らない区間を通過していることから、当初から採算性が低いことは自明の理であったわけです、田川線・英彦山線を編入して、日田線としたことで、香春 - 大任 - 添田間が添田線として分割されるわけですが、当時の国鉄としては本線系統から離れたので、別線扱いするというのは一般的な考え方だったのでしょう。
しかし、市街地から離れた区間を通過しているので、結果的には利用者も少なく、赤字83線でも廃止対象路線としてリストアップされてしまいます。
さて、分離前後の時刻表などから当時の様子を見ていただこうと思いますが。
その前に、現在の添田駅からの状況をgooglemapを使って探索してみました。
1枚目が添田線の終点、添田駅付近の現在の写真、2枚目が添田駅から香春駅方向に進んだ様子です。
左手に見える、遊歩道が添田線の跡地だと推測されます。
999.PNG
添田駅近くの様子
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添田駅から少し大任寄りに移動した写真

添田線も、前述した柳ヶ瀬線同様に、人工集積地を結ぶ路線ではなかったため、赤字83線にも名を連ねたほど、更に昭和50年以降は日本一の赤字線として、有名になってしまい、美幸線などともに、赤字日本一を争うというあまり好ましい状況ではありませんでした。
キャプチャ2.PNG

さて、それでは最後に時代ごとの時刻の変遷を当時の時刻表などから参照していただこうと思います。
昭和35年6月時刻表から参照していただこうと思います。
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当時は、日田線として登録されていることが、時刻表から確認できます。
列車本数もそれなりにあることも判ります。

次は、サンロクトウと後にヨンサン等と並んで言われるようになる、昭和36年10月の白紙ダイヤ改正です。
この時には、すでに添田線と個別の線名が与えられて居るのが判ります。

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次にご覧いただくのは、昭和42年10月の改正になります。
列車本数が片道10本⇒8本に減少しています。
朝夕の各1本が削減されており、日中は9時から13時頃まで空白になるのは、分離当時から変わりませんので、朝夕の通勤・通学が主な利用であったことが確認できます。
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さらに、昭和43年10月の改正では、さほど大きな改革はなく、時刻の意中部修正程度になります。
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昭和43年の改正では、ローカル線の時刻が大きく変化はしているものの、全体の本数は変更はありませんでした。
しかし、昭和50年頃になると露骨に本数が減っていきます。

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早朝7時台に1本増発されるものの、日中は完全に列車の運転はなく片道6本と減ってしまいます。
さらに、沿線の自動車との競争で鉄道は負けてしまうことになります。
さて、昭和53年の時刻表を次にご覧いただきましょう。

s5310.jpg

既に合理化は行き着いたような状態で、特に大きな変更もなく推移していると言えます。
最後に、昭和60年廃止直前の状況をご覧いただく居ましょう
s6003.jpg

なお、添田線に関しては、歩鉄の達人様の下記サイトに詳しく載っておりますので合わせてご参照ください。

参考 廃線探索 添田線を参考sにさせていただきました。
歩鉄の達人

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