柳ケ瀬線の廃止を当時の資料から振り返る

今回も、古い国鉄の部内雑誌などから当時の国鉄ローカル線の在り方についてどのように考えられていたのかを見て行きたいと思います。

今回は、柳ケ瀬線の廃止に至る経緯を見ていきたいと思います。
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北陸線の旧線区間として残された柳ケ瀬線

柳ケ瀬線 柳ケ瀬トンネル開通に伴い路線変更となった北陸本線の旧線部分をローカル線として維持したものですが、沿線には見るべき産業もなく主たる利用者は通勤輸送のみで平均旅客数は1500人程度、気動車による運行を(キハ52単行、昼間は重連)行っていたが、収支係数は1145前後と振るわず、昭和39年に廃止になるのですが、廃止に至った経緯は、単に赤字であるという理由からだけではなく、下記のような理由があったと言われています。

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柳ケ瀬線廃止の理由

1)北陸本線が複線化された場合木ノ本~中ノ郷並びに、鳩原信号場~敦賀の区間で複線区間の1本を上下本線として単線使用することとなり、運転方式が複雑化する。
2)北陸本線の輸送需要は輸送量増加傾向を示しており昭和55年にはさらに輸送力が不足する恐れがある。(湖西線の開業などにより緩和されたと考えられます)

いずれにしても、更にこれ以上資金を投入して、赤字路線を維持していくのは合理的ではないという判断に至ったようです。
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廃止に至るまでの経緯

昭和38年7月から廃止交渉を始めたそうで、約9か月の交渉を経て昭和39年4月には廃止にこぎつけています。
現在と異なり多少は強引な手法もあったかもしれませんが、概ね下記のような反対意見等があったと言われています。

現在と異なり自動車等の発達していなかった当時としては鉄道に対する信頼は非常に大きなものがあり、住民の反対運動は苛烈を極めたそうです。

上記1)の理由に対しても、国鉄が線路を増設すれば良いではないかという意見もあったそうですが、それについては下記のような理由で国鉄は難しいと回答しています。
1年程度の工期と工事費として約5億円(現在の価格で換算すれば約50億~60億円程度)必要であり、国鉄単体としてそれを負担するのは厳しいという見解をしています。
現在であれば、地元負担がと地方自治体で負担という話になりますが当時は国鉄にすべてその負担をしてもらうということが一般的でした。

さらに、バス化されることで運賃が上がるのではないかという問題も指摘されましたが、それについても、下記のような回答しています。
白棚線方式、すでに白棚線で行われている方式(国鉄バス運賃と国鉄運賃の中間運賃)を採用することで、経済的負担の緩和を図る。

さらに、冬季における輸送の確保については、国鉄がバスによる輸送を行なうとなれば、ドイツ製の新しい除雪機械を配備して国鉄が責任をもって除雪することで住民の足を確保するとして積極的に交渉をしたとされています。

これにより、バス代行を行うこととなり、木ノ本~敦賀間並びに地元の要望で、刀祢~杉箸間にも国鉄バスが運行されることになったそうです。

線路の専用道路への改修は約7か月(11月末までかかるのでその間は、暫定措置として一般県道を利用して運行するとした。)その後は専用道完成の後は、木ノ本~敦賀間8往復の他、区間運転として木ノ本川13往復、敦賀側11往復ということで、かなり利便性は高まったと思われます。
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その後の柳ケ瀬線

この柳ケ瀬線ですが、国鉄末期まで国鉄バスとして存続しましたが、民営化後専用道は一般県道として開放されています。
なお、国鉄バスからJRバスに移管されましたが直通バスは比較的早い時期に廃止となり、敦賀~雁ヶ谷間はJRバスとして残りましたがこちらも現在は営業所自体が廃止となっており、敦賀市コミュニティバスに移管されているようです。

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